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さて、私は物心ついた時からずっと、「他人に迷惑をかけたくない、かけてはいけない」という思いが尋常でない程強い人間です。
もはや、最優先の行動原理と言ってもいいくらいになっています。
今回の記事では、なぜこんなにもこの感情が強いのか、そして、私自身が今後この感情とどう向き合っていこうと考えているのか、ということを述べていきたいと思います。
日常生活のあらゆる面で、他人に迷惑をかけることを異常に恐れる
日常生活における、具体的な事例を列挙すると
- レジで後ろの人を待たせるのが嫌で、できる限り速く、スムーズに会計を終わらせられるよう頑張る
- 時間帯や表情、声のトーン、雰囲気などを入念に確認した上で、職場の人や上司に話しかける
- 時間帯や表情、声のトーン、雰囲気などを入念に確認した上で、職場の人や上司に話しかける
- 電車で席が空いた時、少し待って他に座る人がいないことを確認してから自分が座る
- 歩いていて道で人とすれ違う時、絶対に体が接触しないよう、広めの間隔を空けてすれ違う
- 声の大きさ、足音、重い物を置く音など、自分が発する音が他人にとって不快でないか気を遣う
- 他人に仕事をお願いしたり、仕事を断ったりすることが非常に難しい
…など、挙げればキリがありません。
常に「今、この行動は他人に迷惑をかけていないか?」と自問自答し、気を付けながら生活しています。
端から見れば息苦しい生き方なのかもしれません。
でも私からすれば、こういうことを意識せず、不用意に他人に迷惑をかけてしまうことが、この上なく恐ろしいのです。
なぜ、他人に迷惑をかけることをこれ程までに恐れるのか
この強烈な感情の根源にあるのは、間違いなく私のHSPとしての性質だと考えられます。
つまり、自分自身が「他人の迷惑な行為」に対して非常に敏感であり、ちょっとしたことで「他人から迷惑をかけられた」と感じる。
(例:職場の人の電話の声が大きく、集中力を削がれた)
そのため、他の人も自分と同じように、色々なことに対して常々迷惑を感じているだろうと想像し、その「地雷」を踏まないように私は徹底的に気を張っている、という訳です。
実際には、多くの人はそんなに些細なことでいちいち迷惑を感じてはいないようです…。
でも、HSPである私にはどうしてもその感覚の違い、どこまでの行為なら迷惑と感じないかのボーダーラインの違い、といったことを理解するのが難しい部分があります。
なので、安全側(些細なことでも迷惑だと感じる)である自分の感覚に頼らざるを得ず、結果として他人に迷惑をかけることを過剰に恐れている、ということになります。
自分が「組織を辞めること」の与える迷惑の大きさに耐えられない
そんな私にとっての「他人への最大の迷惑」は、自分が所属する組織を辞めることです。
それゆえ、私は今まで自分が所属した組織(中高の部活、大学のサークル、アルバイトなど)を学校の卒業という不可抗力以外で辞めたことが、一度もありません。
例えば、自分が今働いている会社を辞めるとします。すると、
- 会社は私がやっていた仕事を、他の人にお願いすることになる。
- あるいは、場合によっては新しい人を雇わなくてはいけないかもしれない。
- そして、今まで指導してくれていた上司や、一緒に働いていた同じ部署の人、貴重な同期など、多くの人の信用を裏切ることになる。
という、尋常ではない多大なる迷惑を会社にかけることになります。
もちろん、それら全てが自分だけの責任ではないでしょうし、自分の気持ちに正直になることが何よりも大切だということは、重々承知しています。
それでも、どうしても私は、自分が所属する組織を辞めることで与える迷惑と、それに伴う罪悪感に打ち勝つことは、できないっ…!!!
私の知り合いや職場の人で、転職を経験している人は多数いますが、どうすれば「組織を辞めること」の与える迷惑の大きさや罪悪感を乗り越えられるのか、私には不思議でなりません。
自分が他人に与える迷惑より、多くの価値を与えられる人間になる
では、この「他人に迷惑をかけたくない」という強烈な感情とどう向き合うか?
正直、私の根源にあるHSPという気質によるものである以上、根本的な解決は難しく、一生向き合っていく必要のある命題だと思っています。
認知の歪みを治すという方法もあると思いますが、まあ、なかなか難しいのではないでしょうか。
それなら、他人に完全に一切迷惑をかけずに生きるようにすればいいのかもしれませんが、人間は独りでは生きられない以上、そんなことは不可能です。
そもそも、私が「迷惑をかけていない」と思っていても、相手は迷惑だと感じている可能性があります。
ならば、もう自分は「どうあがいても他人に迷惑をかけてしまう」という前提の下、その罪悪感や、贖罪の気持ちという負のエネルギーを糧に、他人にかける迷惑以上の価値を与えられる人間になれるよう、日々努力していけばいいのではないか…!
そう、思っています。
歪んだ考え方…、そう受け止められても仕方ないかもしれません。
それでも私は、「他人に迷惑をかけたくない」という、湧き上がる強烈な感情を逆にエネルギーとして利用し、他人により一層貢献できるようになることが、現時点における最適解だと信じています。