人生

「ニーバーの祈り」の意味と、コロナ禍における重要性

私の好きな言葉の一つに「ニーバーの祈り」というものがあります。

現在のコロナ禍の大変な状況において、この言葉はとても重要な意味を持ち、我々の生き方の道標となってくれると思います。

このニーバーの祈りが教えてくれるものをどう実生活に生かしていけば良いか、私なりの考えを今回の記事では述べていきます。

ニーバーの祈りとは

ニーバーの祈りとは、アメリカの神学者であったラインホルド・ニーバー(1892-1971)が、1943年の夏にマサチューセッツ州西部の山村にある小さな教会で説教した時の祈りの言葉です。

具体的には、以下の文章となります。

「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。」

ニーバーの祈りが意味するところ

原文そのままではやや分かりづらい部分があるので、私なりの解釈で改めて分かりやすく表現すると、以下の内容になります。

世の中や身の回りにある不満の中で、自分の力で変えられることと、自分がどれだけ頑張ってもどうにもならないことを、的確に見極められるようになる能力を習得しなさい。

そして、自分の力ではどうにもならない不満に対しては、あがいて無駄な労力を使うのではなく、静かに受け入れる勇気を持ちなさい。

一方、自分の力で変えられる不満に対しては、勇気を持って立ち向かい、現状を変えるための努力に力を注ぎなさい。

どうにもならないことに文句を言う人の多さ

ですが、世の中には自分の力ではどうにもならない不満に対して、延々と文句や愚痴を言い続ける人が多く存在します。

例えば現在のコロナ禍の状況では、現実世界でもネット上でも

  • ワクチンの供給が遅い
  • オリンピックは中止しろ
  • いつになったら元の状況に戻るんだ

といった文句を言い続けている人を本当に多く見かけます。

でも、こういった大きな問題は我々個人の力でどうにかできるものではありません。

頑張って政治家になれば少しは国の方針に影響を持てるようになるかもしれませんが、文句を言っている人たちにそんなやる気はまずないでしょう。

どうにもならないことに執着してストレスを溜め、神経をすり減らすよりも、もっと有意義な生き方があるはず。

それは「今、自分ができる行動」に全力を尽くすことです。

今の状況でできることに全力を尽くす

コロナ禍でなかなか思うように活動できない日々が続いていますが、そんな中でもやれることはあるはずです。

例えば、

  • 家族と家で一緒に過ごす時間を大切にする
  • 密にならない環境で運動やアウトドアを楽しむ
  • 本を読む
  • 資格の勉強をする
  • ネット(SNS、ブログなど)で発信活動をする

など、やり方次第で色々なことができると思います。

どうにもならないことへの不満に目を向けるのをやめ、こういった今の状況でもやれることに全力で取り組むことが、心身の健康や成長につながるでしょう。

そして、いずれコロナ禍が終息した時に

  • 自分の力ではどうにもならない世の中の状況に文句を言うだけで、何も行動をしなかった人
  • 自ら主体的に行動を起こし、今の状況でもやれることに全力を注いだ人

の2者の間では、人間としての成熟度や心の強さに大きな差が生まれいるはずです。

まとめ

今回の記事では、現在の世の中において「ニーバーの祈り」がもたらす意味について、私なりの考えを述べました。

今から80年ほど前の教えではありますが、現代を生きる我々にとっても心強い道標となってくれます。

その道標を参考に、「今、できること」に全力を尽くし、努力を積み重ねていけば、きっと明るい未来が開けると私は信じています。

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