今回の記事のテーマは「怒り」です。
「怒り」というと一般的には負の感情というイメージがありますが、「静かな怒り」という使い方をすれば、組織をも動かす最強の力になりうると私は考えています。
以下、「静かな怒り」の使い方や活かし方について詳しく述べていきます。
興味のある方はぜひ最後まで読んでみてください。
静かなる激情
私は以前、
「冷静な怒りには、社会を大きく動かす力がある」
という趣旨の文章を見たことがあります。
どこで見かけたのかも記憶がありませんし、正確な文章も覚えていませんが、今でも私の頭の中に強く残っています。
この内容が、喜怒哀楽の感情のうち「怒」を最も強く持っている私の人間性にとてもマッチし、非常に気に入っているので
【静かなる激情】
を私自身の座右の銘としています。(自分で勝手に言っているだけですが)
感情的な怒りでは人の心を動かせない
怒りの感情に対して、普通はマイナスのイメージを持つことが多いと思います。
確かに感情に任せた制御の効かない怒りをぶつけてしまっては、相手を嫌な気持ちにさせるだけでしょう。
怒りという強い感情への対処を間違えて、自分の心の制御に失敗し、人間関係のトラブルを招いてしまったことは誰しもあると思います。
アンガーマネジメントという技術が存在するのも、もともと怒りという感情のコントロールが難しいということを如実に反映しているのだと言えます。
一時の感情に任せた「感情的でうるさく騒々しい怒り」は誰かのための怒りではなく、独りよがりの怒りでしかありません。
そんな自分本位の怒りを叫び続けても、人の心を動かすことはできないでしょう。
キーワードは「私憤」と「公憤」
一方「静かで冷静な怒り」には、人の心や社会を大きく動かす力が秘められていると私は思っています。
では、「感情的で騒々しい怒り」と「静かで冷静な怒り」の違いは一体どこから生まれてくるのか?
その鍵となる言葉が「私憤」と「公憤」です。
両方とも聞き慣れない言葉かもしれませんが、辞書で調べるとそれぞれ以下のように出てきます。
私憤:個人的な事柄でのいきどおり。個人としていだく怒り。
公憤:社会の悪に対して、自分の利害をこえて感じる憤り。
これをもとにすれば、下記の通り対応すると言えます。
私憤=感情的で騒々しい怒り
公憤=静かで冷静な怒り
静かな怒り=公憤には人の心を動かす力がある
「私憤」は日々の個人的な人間関係の中で生じるものです。
瞬間的かつ一時的で、長期間は持続しない怒り。
そのため、その怒りに強い信念は存在し得ません。
一方で「公憤」は国や社会、組織といった集合体に対するものです。
その集合体の持つ悪しきルールや制度、慣習、風潮への怒り。
私憤とは異なり一過性の感情ではなく、長い間持続します。
最近で言えば、ウクライナに戦争をけしかけたロシアという国と、そのトップに対する怒りがまさに該当するでしょう。
公憤には爆発力はありませんが、心の中で長期に渡って静かに燃え続けます。
そこにはその人自身の強い信念や信条、情熱が組み込まれています。
既に察しがついた方もいるかもしれません。
この「公憤」にこそ、人の心や社会を大きく動かす力があるのです!
公憤は歴史を動かす
歴史上の偉人の中にも、公憤という名の静かな怒りの力で国や社会を動かした事例がいくつもあります。
例えば、インド独立の父として知られるガンディーが挙げられます。
暴動やテロ、ゲリラ戦といった感情的な怒りによる方法ではなく、非暴力・不服従を掲げた理性的な運動によりイギリス支配からの独立を目指したガンディーの戦い方は、まさに静かな怒りの体現と言っていいでしょう。
ガンディーから大きな影響を受けた、アメリカの人種差別撤廃に大きな役割を果たした人物であるキング牧師も同様に、静かな怒りでアメリカという一つの大国を動かした人物です。
私が尊敬する人物の一人である、アメリカの生物学者のレイチェル・カーソンは「沈黙の春」という本で農薬による環境破壊の実態を主張し、アメリカの大統領をも動かしています。
「沈黙の春」という本のタイトルにも表現されている通り、これも冷静な怒りで社会を動かした実例です。
このように、公憤が持つ怒りのエネルギーを上手く制御しつつ表に出すことで、多くの人の心を動かし、行動を変え、味方につけ、旋風を巻き起こすことさえも可能となるのです。
静かな怒り=公憤で身近な組織を変革する
とはいえ、「そんな歴史上の偉人なんてスケールの大きいことを説かれても…」と感じる人が多いだろうと思います。
確かに公憤は社会や組織といった集合体への怒りですが、その「組織」は何も国家のような巨大なものだけとは限りません。
会社や学校など、皆さんの身近な組織も含まれます。
会社や学校における理不尽で、非効率で、人の心を踏みにじるような制度・慣習・風潮・体質に対する怒りを感じている人もいると思います。
そういった公憤を冷静かつ理性的に、しかし力強く主張する。
表向きは凍てつく氷のように鋭く、しかしその内側は燃える炎のように熱く、組織の歪みに対する怒りを突き付ける。
そんな冷静かつ鋭い怒りは、感情的な怒りよりもずっと強く人の心を揺さぶる。
静かな怒りはまるで砕けた氷片のように、周囲の人達の深層心理に突き刺さる。
そして次々と人々の意識や行動を変えていき、最終的には組織自体をも変革させてしまう力がある!
私はそう信じています。
まとめ
以上、今回の記事では静かな怒りの使い方や活かし方について、私の考えも織り交ぜて解説しました。
怒りの感情は決して悪いことばかりではなく、使い方次第で人の心や行動に良い影響を与えることができるはずです。
ぜひ皆さんも、身近な組織の問題点から目を逸らすことなく、静かな怒りの力を使って積極的に改革していってほしいと願っています。