HSP

恵まれている、幸せであることの罪悪感は、思いやりの心の裏返し

私は自分が恵まれていることや、幸せであることに対していつも罪悪感を感じながら生きています。

日常生活がその罪悪感にかなり影響されているくらいです。

私と同じように、恵まれている罪悪感を抱えている人は多いのではないでしょうか。

今回の記事では私自身の経験を交えて、なぜこの罪悪感を強く感じるのか、そしてどう向き合っていけばいいのか、自分なりに考えた結果を述べていきます。

恵まれている、幸せであることの罪悪感を事あるごとに感じる

私はもともと罪悪感を感じることの多い人間ですが、中でも「 自分が恵まれている、幸せであることの罪悪感 」を特に強く感じます。

具体的に例を挙げると、

  • 土日も仕事で働いている人がいるのに、自分は土日休みで休日を満喫している
  • アルバイトをして自分で学費を稼ぎながら大学に通っている人もいるのに、自分は親から学費を出してもらえた
  • 世界には目の前の一日一日を生きるのも大変な人がいるのに、自分はそんな心配のない日本という豊かな国で暮らしている
  • 不慮の事故等で体に障害を負った人がいるのに、自分は五体満足で生きている
  • 重い病気等で自分よりも若くして亡くなった人がいるのに、自分は今も生きている

などがあります。

つまり、この日本という比較的豊かな国で健康的に生活しているだけで日々大きな罪悪感を抱えているのです。

そんな状態は正直メンタル的にかなり苦しいものがあります。

しかし、これまでその罪悪感を消すことができないまま生きてきました。

恵まれている罪悪感に影響された私の人生

私の人生は、恵まれている罪悪感に大きく影響されてきました。

この罪悪感が私にもたらした悪い影響は以下のようなものがあります。

  • 土日の休日を過ごしていても、世の中の土日も働いている人のことを考えて申し訳なくなり、せっかくの休みなのに気が休まらない。
  • 楽しいことをしていても、世界中の生きるだけでも必死な人々のことが頭をよぎり、楽しい気持ちにブレーキがかかってしまう。

逆に、罪悪感がもたらした良い影響もあります。

  • 世界には貧しくて学校に通いたくても通えない人がいるのだから、恵まれている自分はその分しっかり勉強しないと!と思い、一生懸命勉強することができた。
  • 自分がこうやって健康に生きられているのは当たり前のことではないのだ、と深い感謝の心を持つことができた。

このように良い点悪い点両方ありましたが、いずれにせよ重い十字架を背負っているようで、心が苦しく感じるのは間違いありません。

では、なぜこの恵まれている罪悪感が生まれてくるのか?

同調圧力が恵まれている罪悪感を生み出す

日本には、みんなと同じことが好まれる「同調圧力」や、出る杭は打たれるといった独特の風潮があります。

この風潮が恵まれている罪悪感を感じる一つの原因ではないかと考えています。

みんな同じ、みんな横並びの状態が好まれる中で、自分一人だけが恵まれた状況にあるということは、他者からの嫉妬を生みやすくなる。

嫉妬が生まれれば、出る杭となった自分は攻撃され、仲間外れにされる恐れがある。

そのような同調圧力による報復を恐れることで、恵まれている罪悪感が生まれているのではないでしょうか。

思いやりの心から罪悪感が生まれるのでは

一方で、別の要素も恵まれている罪悪感に繋がっていると思っています。

それは「思いやりの心」です。

身近な人が辛い思いをしている場合、自分が何か力になりたいと思ったら、直接自分が助けたり手を差し伸べてあげることができます。

でも、世界の遠い場所に住んでいる人、例えばアフリカの貧しい子供達に自分が直接何かをしてあげることは難しい。

募金などの手段はありますが、現地の大変な状況を劇的に改善させるだけの効果はありません。

そのような場合、「力になりたいのに、どうすることもできない…」と無力さを感じて行き場を失った思いやりの心が自分の内側に戻ってきます。

戻ってきた思いやりの心は、無力さという感情と混ざり合い、「力になることもできないくせに、自分だけ恵まれた状況でいい思いをしている…」と感じるようになります。

そして最終的に恵まれている罪悪感へと変化して、自分の心を苦しめるようになるのではないでしょうか。

すなわち、恵まれている罪悪感は強い思いやりや優しさの裏返しであり、ある意味誇るべきものであるとも言えます。

HSPは恵まれている罪悪感が強い?

また、私自身の経験上、HSPは恵まれている罪悪感が強いのではないかと推測しています。

HSPは様々な刺激に対する感受性が強いですが、その刺激には人々の苦しみ、悲しみ、痛みといった辛い感情も含まれます。

周囲の人の話やニュース、ネットの情報などを通して他人の辛い感情を鋭敏に察知し、その一つ一つの苦しみに共感して人一倍深く心を痛める。

結果として、自分よりも苦しんでいる人は大勢いる、そして自分はそういった人達よりも恵まれていて幸せであると感じてしまいやすい。

こうしてHSPは恵まれている罪悪感をより強く感じるのだと考えています。

恵まれている罪悪感とどう向き合うか

とはいえ、過剰な恵まれている罪悪感によって心が苦しくなったり、自分の行動を制限するようになってしまうのは、できるだけ避けたいです。

ではどうすれば良いのか?

一つは、今の自分が恵まれている、幸せである状況に深い感謝の気持ちを持つことだと思います。

自分が恵まれていることを素直に受け入れるのは、中々難しいかもしれません。

でも、罪悪感を感じるたびに、同時に感謝の気持ちを持つよう意識していれば、いずれは今の恵まれている状況を後ろめたさなく受け入れられるようになる、そう私は信じています。

もう一つは、恵まれない人々の幸せを願い、祈ることだと思います。

恵まれない人々を助け、力になることに関して、我々ができることには限りがあります。

それでも、恵まれない人々の幸せを願ったり、祈ったりすることはできるはずです。

恵まれている自分の状況にばかり目を向けて罪悪感を抱くのではなく、相手に目を向け、恵まれない人々の幸せを願うことで、少しずつ罪悪感が心の内から浄化されていくのではないでしょうか。

まとめ

今回の記事では私自身の経験を交えて、なぜ「恵まれている、幸せであることの罪悪感」を強く感じるのか、そしてどう向き合っていけばいいのか、自分なりに考えた結果を述べました。

恵まれている罪悪感を感じるのは、強い思いやりや優しさを持っていることの裏返しだと私は考えています。

その優しき心を大切にし、うまく罪悪感をコントロールしながら生きていくのが良いのではないでしょうか。

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